あたまのなかではこうなってます

こんにちは。

皆さんお待ちかねの自分語りタイムがやってまいりました。

当方ひとから結構「何考えているのかわからない」「悩みがなさそう」などと言われるのですが、そんな私がなにを常に考えているのかを少し明らかにしていきましょう!の回です。(誰も興味ない)

 

まあなんていうかイヤー正直、『わからない』です。

思考というものは刹那的といいますか、季節のように移り変わるものじゃないですか?いつも同じこと・同じテーマを考え続けてる人っていませんよ、たぶん。

1日通してざっくり一つのことを考えていることはあると思いますが、あいまあいまに『あ、今何時だろ』とか『今日の夕飯何しよ』とか考えるじゃないですか。

 

意外かもしれませんがわたしはリアルでは自分の考えとか気持ちとか近況とか一切人に言いません。なぜなら、色眼鏡で見られるのが嫌だからです。

例に出すと、わたしが『あの人嫌い。』って人に愚痴をこぼすとするじゃないですか。そうするとその人は今後私とその人を見るたびに『普通に話してるけどあの人のこと嫌いなんだよな』とか頭をよぎるじゃないですか?これが嫌なんですよね。

 

後、変に気を使われたりとか。そういうのが鬱陶しいんですよね。相手に悪気がないから余計にもやもやするし・・。

なのでわたしは基本的に自分の感情が人に伝わらないようにを徹底しているし、人と話してるときはそのことばっかり考えています。楽しいとか嬉しいは例外ですけど。

 

これがいわゆる『何考えているかわからない』であり、わたしの『対人の時』のあたまのなかですね。つぎはわたしの『一人の時』のあたまのなかの話をしましょう。

わたしが絶対に一人で考えないことを箇条書きで紹介します。

1.一日の反省会

2.生きている意味とか、哲学的なもの

3.過去の失敗とか嫌だったこと

 

これ考えないだけで人生だいぶ楽ちんになるんじゃないかな。

まず一つ目の一人反省会。これ多いんじゃないですか?『余計な一言だったかな』『相手はどう思ったかな』とかそういうのをお風呂場とかで延々考える人。

これ正直百害あって一利なしだと思ってます。なぜなら!それはその人を相手にしてるその瞬間に考えることであって、家に帰ってどうたらこうたら考えてももう遅いから。常に最善を尽くす。ってマインドで生きてます。最善を尽くした自信があると、他人に何言われてもまったくメンタルにきません。『へえ、あなたはそう思うんだ!』とむしろ勉強になります。

 

二つ目、人生の意味とか哲学のやつです。

なんていうかシンプルに必要がない。百害もないし一利もない。生きる意味とは?あなた精子の時から意識あって、死ぬ気で頑張って何億匹の中から一位になって、使命を果たすためようやく生まれることができた苦労人なん?って聞きたくなってしまう。ただ着床して妊娠して生まれてきた人間があなたという人格を築いただけじゃんって、わたしは思ってしまうのだ。こういう事は人格形成期だけに考えるものだと思います。世の中に基本無駄なことはないと思ってるが、生きる意味となぜ死ぬかは答えが決まってないし自分次第の話だから今考えてもしゃあないかな。

 

三つ目。これはもう自分ではどうしようもないと思いがちじゃないでしょうか。全然そんなことないです。こういう事を考えてしまう原因は、個人的に『暇しているか否か』が一番の原因なのかなと思ってます。

なぜなら、単純に忙しい人はそんなこと考えられる時間はなく、もっと別のやるべき事を考えてます。芥川龍之介の名言に、『我々を恋愛から救うものは理性よりも多忙である』というものがあります。

これは恋愛じゃなくても同じことで、一つのことに集中する能力がある人は物事を掘り下げていくじゃないですか?そして負のスパイラルに落ちていく印象があるんですよね。気持ちはある程度分散させないと、『依存』や『執着』に変わります。気分が落ちているときは、おいしいもの食べて好きなことして寝るのが一番って楽天家人間の私は思ってます。

 

と、また長々話しましたな。きょうかいたものは『わたしのあたまのなか』であり、『あなたのあたまのなか』とは別の世界です。ただ、わたしのあたまのなかのような、気楽で、悩み事がなさそうな人って何考えているんだろ?て思う人に、少し覗かせてあげたかったのです。

 

これまじで誰得なんだ?